働くオカンの妄想日記

働くオカン(三姉妹の母)がが日常を妄想しつつ日記にしていきます!!

子供の朝学と集中力(を書くはずが前置きだけで終わりました。ごめんなさい。)

妄想日記らしく、妄想していこうかと思う。

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フリー画像

 

わたしは、わたしの小学校時代をを振り返ってみたところ勉強するという習慣があったかどうかは定かではないが、宿題だけはちゃんと不正をしてでも提出していた記憶が強くあった。私が3年生になったのを機に、私の母は出勤が7時過ぎで帰宅が22時過ぎという過酷な環境で働き始めた。その為、私はありとあらゆる配布物を不正に廃棄し、親が記入し提出する書類があれば友人に代筆を頼んで「欠席」「NO」「NG」の類の回答と署名をもらって勝手に自宅の印鑑で捺印し提出をしていた。置き勉なんかも小学生でもしてたし、要領よく(と当時は自分で思い込んでいた)適当にやり過ごしていたように思う。

 

そんな中で私の母がとった行動は、小4から塾に入れる。中学からはプラス家庭教師をつける。と、教育熱心な側面をチラチラと覗かせていた。が、私は自分の母親が教育ママだという認識を当時は持っていなかったように記憶している。高校に入れば塾からは解放されたし、予備校に行かずに大学にいくのが当然のように自習をしていた記憶すらある。

 

ただ、高校3年の夏に父親との大喧嘩によって大学進学は断念した。

母は父を止められず、この件が一要因としてあげられ後年に熟年離婚しているくらいだから、まぁーたいそう大きな親子喧嘩だったのでしょう(笑)

 

「現役での神大・阪大(無理やと思うけど京大でもええぞw)の理系オンリーしかみとめない!」とか言い出したんだぜ。まぁー、お察し案件ですね。はい。

 

私が、そんな環境でもスクスク育っちゃったものだからね。

 

自分が親になり、子供が成長するにつれ、私がどんなに忙しくしていても、子供は勝手に育つんだろう。宿題くらいは勝手にするんだろう。友人と一緒に好き勝手遊んでくるんだろう。と、勝手に小学生イコール手が離れて放置可能!!あとは本人次第!!くらいに思い込んでいた。

 

まぁーんなわけなかったよねぇ〜〜〜w

これぞまさに生存者バイアスやねw

 

私の母曰く、私は勝手にいろいろする子供だったけど弟は一切しなかったと指摘され、そういやアイツ(弟)は・・・といろいろ思い出して恐ろしくなった。ええ、ほんと、ココに書けないようなことばかりの弟でしたからね。はい。

 

大いに反省した!!!

心入れ替えました!!!!

 

というとで、心をしっかりと入れ替えまして、更に、教育虐待なる言葉があることもしっかり調査したので、自分の中でこういうルールで行くことにした!!!

 

 

・・・・(チラっと時計を見る)

前置き長くてすみません!!!

ここからが本題なのですが・・・次回へ持ち越しにします。

 

おやすみなさーーい!

7月で現在の職場からは去る事となりました

いやー、なんつーの、書き散らかしたまま放置しすぎでしょ!!!

相変わらず失礼な人よね!!

 

って事で、またまた表題に書いた事以上の事はないけども、ちょっと気持ちの整理がてら書いてみようと思う。お付き合い頂ける人だけどうぞ。

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フリー画像より

 

ちょうど1年前くらいからでしょうか?

旦那との喧嘩が絶えなくなってきた上に、喧嘩の規模が大きくなってきました。

 

こんな感じで去年のGWのエントリーにも記録が残っていますね。

雨降って地固まる - 働くオカンの妄想日記

 

それから数ヶ月後にあたる去年の夏がこちらですね。

わたしの夏の思い出 2015 - 働くオカンの妄想日記

 

そしてその更に数ヶ月後の去年の秋がこちらですね。

夫婦喧嘩の原因がどれもこれも病気のせいだとわかった時・・・ - 働くオカンの妄想日記

 

こうやって順調にステップを得て来てなんで今なんだ?と自分でも思う事がないわけでもないのですけど(言い回しがややこしい)。

 

むしろ、今だからこそなんだと思うんですよね。

この間の年末に書いたエントリーですけど、そうなんですよね。

1年を振り返る:年末恒例 - 働くオカンの妄想日記

 

安心できたんだと思うんですよね。

たぶん会社からも家族からも受け入れられたと感じたからこそ、卒業しようかなという気になれたんじゃないかと思うし、動こうと思えたんだと思うんですよね。

 

本当に本当にほんとぉーーーーーーーーーーに苦しいどん底の時って、何かを変えるエネルギーって逆になかったりするじゃないですか?苦しすぎて、苦しすぎてってなってて、変えなきゃいけないとわかっていても、変えるエネルギーが不足しているし、ここで失敗したらマジで終わるってくらい苦しい時って、変える勇気すら湧いてこず、堪えるしかない、この環境の中でちょっとだけマシな方向に行くようにあがくくらいしかできないって時ってあるじゃないですか?

 

特にね。

この今の苦しい状況って、例の田舎脱出後に自分で用意した環境でもあるんですよね。

なかなか更なる変化を作るエネルギーが湧いてこない時期でもあったんですよね。

ほら、自分で望んだんだろ?え?違うのか?否定するのか?これで満足だったんじゃないのか?更に欲が出たのか?ちょっとはこのまま頑張ってみろよ!!みたいな心の葛藤みたいなのがあったわけなんですよね。

 

でも、だからってね。

どう考えても、今の環境っておかしいんですよね。

 

田舎ビフォアーと田舎アフターとで違う条件になっているんですよね。

そこを無視して、ビフォアーでうまくいってたから、アフターになってもうまくいくのか?っていうと、そうじゃないという現実を突きつけられていたんですよね。

 

決定的に違ったのは、3つです。

  • 子供が1人から3人に増えている。
  • 旦那が転職した。(年収が2倍以上に増えてている。伴う帰ってこない。休めない。休みない。残業多い。伴う家庭内のパワーバランスの崩れ。)
  • 会社の業績の悪化。(離脱メンバーが多く、社長が保守的になり、新人を取らなくなり、人間関係が固定された少人数となった)

 

私の負荷が増える一方だったんですよね。

田舎アフター復帰後のとあるn年度に、会社の業績は一度ふんばって底上げしたんですけど、その年度の子供たちは放置も放置、荒れまくっていた事にすら気づかない程の放置だったわけですね。

 

余裕は、どんどんなくなる。

n年度のように、あれだけの結果を出すには、あれだけのパフォーマンスが必要で、伴い家庭は荒れる。

 

n+1年度、荒れた家庭をケアする方に比重を傾けると、打てば響く素直な子供たち。その姿に「ごめん、もっと目をかけてあげればよかったんだね」となるわけですね。そして、当然のように私の仕事の成績はゲキ悪でしたね。ハイ。

 

ちょどその時に書いたのが、こちらのエントリーですね。

中間反抗期と思春期と夏休みで遅刻な毎日・・・泣くぞ!泣いてやる!! - 働くオカンの思考を解剖したらこうなりました

まぁ、前後のエントリー見てもらえればわかるけど、n+1年度は悲惨な時期ではあったよね。うん。荒れ狂ってた気もするよね。うんうん。

 

なんかさ、やっと方の荷が下りたというかなんというか、もういっかな?って感じになりました。

 

ここでやっと、こちらの人生相談アンサーが生きてきたわけですね!!

ありがとうございます!!ずんずんさん!!!!

人生お悩み相談:ワーキングマザーのお悩み - ずんずんのずんずん行こう!改!

 

改めて思うんですけど、わたしは仕事が好きなんですよね。

ほら、仕事ってやればやるだけ結果が見えやすく、仲間とワイワイするのって楽しいじゃないですか!

 

それでも、仕事とは比べ物にならないレベルで楽しいのって、子育てだなっていうのも、子供3人も産んでるだけあって、本当に実感するし、やりがいや面白さってあるんですよね。

 

そして、忘れてはいけないのが「夫婦仲」だと思うんですよね。

子供を健やかに育てようと思うと、絶対に一人では育てられなくて、誰かの助けを借りるんですけど、幸いな事にまだ離婚もしてませんし最初に「一緒に我が子を育てませんか?」って助けを求めるのって、やっぱ旦那だと思うんですよね。まぁー、助けてって言う前にテメーのDNA入りの我が子なんだし、シノゴノ言わずにやれやゴラ!って思わなくもないですけど、まぁ、この際細かい事はいいです。助けてっていうのは、旦那だという話です。

 

それに、離婚をしておらず改善の余地がある夫婦の場合、やっぱり夫婦仲が良いに越した事はなく、なんなら一番イージーモードで子育てをしようと思うと「夫婦仲が最高に良ければ、子供は衣食住をほどほどに与えとけばなんとなく真っ直ぐ育つ」ってなもんだっちゅうことも、なんとなく実感もあるところなんですよね。

 

そういういろんな天秤をかけた時に、守られてると実感できた今だからこそ、心の声に耳を傾けることが重要なんだと、ふと人生相談のアンサーを思い出したんですよね。

 

当時は、人生相談をしてみたものの自分の心と対話する余裕まではまだなかったんですよね。

 

そこで迎えた今の新年度に、ちょっとした事件があったんです。

他社の熱血営業マンが、とある商材を売りに飛び込みで弊社の社長に営業した結果「あいつの営業センスが最高!」ってな事になり、それに付き合えというわけですね。はい?熱血営業マンに付き合うですと???

 

実はその熱血営業マンの営業スタイルって、田舎ビフォアーの私の営業スタイルとそっくりだったんですよね。そして、その営業スタイルだと私は家庭が崩壊するって気づいていて、あれは仕事漬けじゃないとできんなって思ってたわけですね。田舎アフターのn年度ですら若干程度でしたけど取り入れた手法で、全力で取り入れるなら、ベアを組む同程度のスキルの仕事漬け同僚がいないとムリだなって思ってた手法だったんですよね。縮小して傾向のいまの会社にそんな人材はいないわけですよ。田舎ビフォアーの時はそういう同僚も割といたので、出来たんですけどね。

 

って事で。

ぶっちゃけ、それ捨てたんですよ。

捨てないと、両立できないからさ。それにそれ持ち続けているとさ、旦那とはライバルにしかならずに「ケア責任の押し付け合い」が発生するくせに、今の私と旦那とは、もう稼ぎから何から違いすぎるので、押し付けられない状態にまで来ているんですよね。

 

あ、終わりだな。

もうこの会社で騙し騙し続けるのも限界だな。っと気づきました。

 

4月吉日。

社長へ面接をお願いし、告げました。「辞めたいと思っている。子供がグレはじめもう両立をする限界にきました。夫婦仲にも問題が出てきています。」って理由にしました。嘘ではないが、真実でもない理由ですけど、この際いいんです。長年勤め会社の退職理由なんか当たり障りない事の方がいいんですよ。揉めないし、理由なんか1つ2つじゃなく複数が複雑に絡み合うような感情も湧いてくるし、円満て退職できるシンプルな理由の方がいいなって思ったんですよね。

 

この日の報告をしてから旦那に変化がありました。

まず態度が軟化しました。子供にも私にも優しくなった気がします。

話し合いに応じるようにもなりました。喧嘩腰にならずに。

 

会社とは、数日後からつい先日までの間で。

なぜか社長に謝られ、条件面でもすったもんだはあったのですが、無事に退職希望が受理されました。そして、7月末で決着がつきました。

 

このタイミングで、長期休暇のGW。

いろいろゆっくりしていると、エネルギーが戻ってきたのでしょうか?

 

もう一度、正社員として働く先を探してもいいかな?という気持ちも出てきました。

 

ただし、両立ができる仕事量であったり責任量であったり、見合った給与であったり、それによっては、家事代行さんを入れるか入れないかを検討しても良いと旦那とも話がつき、場合によっては子供向けに何かサービスを検討するのか?早く帰るのか?という条件面でも、旦那とフラットに話し合いができ始めているのは意外な棚ボタではありますね。

 

まだ探し始めていませんし、どうなるかはわかりませんし、やっぱりパートでのんびり働こう!ってなるかもしれませんが・・・。

 

今のところ、現在の職場からは去る事にしました。

そして、旦那との夫婦仲が改善し、子供たちも健やかである。

 

というのが、現在の状況です。

また、何か書きたくなったらブログ書きますね!!

 

 

正社員のフルタイムを辞めようかと思ってる

なんとなく書きたい気持ちが深まったのか、昨日は筆慣らしにちょっと書いてみた。たいした内容もないのに読んで頂けて「まだ忘れられてなかった!」というこそばゆい嬉しさがこみ上げてきた。有難いです。ほんと。これがサードプレイスと言うものですね!!!(違う)

 
さて、表題に本題を表明した通り以上の内容はないのですが、移動時間が30分ほどあるのでちょっと書き散らかしてみようと思う。
 

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フリー画像より
 
私は、今の会社の社長とは15年の付き合いになる。社長の元へ派遣で配属され、気に入られ、社員となった。会社は当時流行のベンチャーというヤツだった。(若干フェイク入り)
 
社長との長い付き合いの中、ベンチャー独特の創業メンバーの離脱も仲違いも見てきた。私は若かったし、何より氷河期世代として正社員になれた事が尊く全てのいざこざを横目で見ていた。
 
そして、私は結婚し子供を産み産休育休復帰を繰り返した。
 
15年前はベンチャー企業も、今は中小零細企業の吹けば飛ぶ会社。だが、お客様に恵まれ今日まで潰れる気配もなく存続しているし、これからも数年は間違いなく存続するだろう。
 
この長い間で私は会社での重役を担った事も、営業で結果を残した事もある。今は平社員。
 
だが、今はその過去が重たい。
 
そろそろ子供が大きくなったのだからと、過去の栄光をもう一度取り戻す機会を与えようとしてくださるのは、とても有難いのかもしれない。
 
だが、今はその思いが重たい。
 
私が最前線での戦いで敗れたらもら、社長しかいない。社長は最後に頭を下げる事はできても戦いで勝つ力はもうない。
 
過去の栄光を取り戻すという事はこういう事だ。その責任を負いながら、家族を抱え、私は一体どこへ向かうのか?何を欲しているのか?
 
世の中ではマミートラックだとかパピートラックなんだとか叫ばれているが、マミー&パピートラックは必然的だと思う。
 
家庭を持った以上、どこまでをコミットするか?を決めるのは、私独りの問題ではない。
 
家庭でも、会社でも、自分の役割や責任範疇を明確にしコミットするのは、私独りの問題ではない。
 
これを、私独りの問題として、会社でも家庭でも確実なコンセンサスを取って行かずに「私だけが我慢をすればよい」状態にすると体か心を壊すか子供がグレる結果になるのだろうと最近は思うに至った。
 
コンセンサスを取るのは、家庭であれば夫と。会社であれば上司やチームと。これは難易度が高いスキルが求められる。
 
この工程を不要にするには、マミー&パピートラックに放り込めばいいのだ。だから必然的と書いた。
 
 
夫とコンセンサスを取るのに疲れた。
という事で、駅に着くので次回へ。